先月、家族について考えさせられました。
ランチしましょう、と約束していた友人から急な腹痛に襲われたと連絡がありました。
約束の場所に電車で向かっていた私は彼女の自宅へ急行しました。
七転八倒していたので、すぐに救急車を呼びました。
幸い、すぐに救急病院に運んでもらえました。
救急車の中での聞き取りも済ませ、病院到着とともにすぐに診察検査が始まりました。
廊下のベンチで待っているとおよそ1時間くらい経ってから
担当医の方が出てきました。
「ご家族ですか?」「いえ友人です」
「ご家族はいつ来ますか?」「まだ連絡していません」
そこで、救急車を呼ぶに至った状況を説明しました。
「ご家族はどなたがいますか?」「連絡はとれますか?』
「誰がいつ来ますか?」
「先生、ちょっと待ってください」
「どんな状況なのか、手術の可能性があるのか?入院する可能性があるのか?
今日中に帰宅出来る可能性があるのか?どんな病気の可能性があるのか?
これらを聞いてから、誰にいつ知らせるか判断したいと思います。
なにも分からない状態で、救急車で運んだ、だけでは家族を驚かすだけです」
「いえ、お話し出来る相手はご家族だけです」
「私は家族同然の付き合いをしています。話して頂きたいです」
「いえ、ご家族以外に話す事は出来ません。
 聞きたければあとで病人本人から聞いてください」
はあ???なんと???
必要最低限の情報も家族ではないからと話してもらえないのです。
基本はわかります、個人情報保護もわかります、例外を作ったらキリががないのも分かります、
緊急事態に際して、これは予め考えておく必要があるなあ、と感じました。
今は一人暮らしの人も多いです、家族から遠く離れている人も多いです。
家族を持たない人も多いです、
そんな人たちは救急車を呼んだらどんなことになるのでしょう。
家族を、家族を、と連呼されても、困るばかりです。
テレビで時々同性婚の人たちが法律上、夫婦と同じ権利を認めてください、と
訴える姿を思い出しました。
自分たちはお互いに信頼し、愛し合い、家族として生きているのに、
法律上は認められていないからと、多くの不自由さと不公平さと理不尽さと戦っているのだなあ、と思いを馳せました。
もっと誰もが生きやすい暖かい仕組みを作らないといけないと思ったものでした。
この体験があって、家族とは何か、と色々考えました。
ちなみにおかげさまで友人は大したこともなく、その後帰宅できました。
ご家族には「腹痛で救急車を呼んで病院に行きましたが、大した事はなく無事に帰宅しています」と
事後連絡で済みました。